萌蘇(3)
(続き)
シンがかつてはアスラン(の強さ)に対して
憧れとか尊敬といった正の感情を抱いていたことは
間違いないでしょう。
そんなシンにとって、自分が認めていたアスランが
キラ(フリーダム)にあっさり負けてしまったことは
(その際に細かい事情があったことをシンは知りませんから)
単にアスランが負けたという事実だけでは収まらないのです。
自分の過去の(アスランを認めるという)判断を
否定する事実なのですから。
ここで、シンの思考回路としては、
「俺は悪くない、弱かったアイツ(アスラン)が悪いんだ」
という感じになってしまうわけなのです。
ということで、この先シンがその状況を脱出し、
自己内省できる人間、いわゆる大人に成長するか
がシン側から見たこの作品の大きな焦点となると思います。
シン的思考回路の終着点は復讐ですから、
キラを倒すことでそれを達成した(と思い込んでいる)彼が
再びキラと対面したときに
どんな対応をするのかがこの作品の大きな起点になりそう。
他のキャラクターはよう分かりません。
頼むからもうちょっと彼らの思考回路を
間接的であれ直接的であれ説明する描写をしてくれ。
ぐはっ、ガンダムの話が長くなりすぎ。
とっとと次へ行こう。
◇こいこい7
この作品はチラッとしか見ていませんでしたが
「ギャラクシーエンジェル」と「萌え」の共存という
かなり無茶な挑戦をしようとしていたように感じました。
結局失敗してどっちも中途半端になったという感じでしたけど。
「笑い」&「萌え」の共存に関しては
ギャルゲ界ではいくつかの作品がそれなりに成功しているわけで、
十分共存可能なのでしょうが、
「ギャラクシーエンジェル」までぶっ飛んじゃうと
どうしてもバランスが崩れちゃうみたいですね。
新喜劇とシリアスの共存が大変みたいな感じで。
中途半端にストーリ性を共存させようとしたのも
作品構成を難しくした原因でしょう。
優れた物語性の中に上記の要素を盛り込んだ
『Kanon』や『ONE』などの作品もあるのですが、
これらは完全に作品面(物語性・テーマ性)と
商品面(萌え、笑い等)を独立させていますからね。
『ギャラクシーエンジェル』に至っては
ほぼ完全にストーリ性を無視していたわけですし。
ということで、どうせなら
もうちょっとどれかに徹底した方がよかったのでは・・・
というのが私的な感想です。
(続く)