Absicht f. (intention) (1)

英語を勉強すると、
日本人とアメリカ人の思考構造の違いが
しばしば指摘されます。
ある本に次のような分かりやすい例が書かれています。

日本では、デパートで店員さんに
「この時計は父の日のプレゼントなんです」
と言うと、店員さんは、
「かしこまりました、どのようにお包みしましょうか」
と対応します。

しかし、アメリカでは
「この時計は父の日のプレゼントなんです」
と言っても
「よかったですね」
と言われるだけだそうです。

つまり、日本では
「この時計は父の日のプレゼントなんです」
という言葉から
「だから包んでください」
というニュアンスを読みとるための
論理的思考の構造が共有されている一方で、
アメリカ人はそのような思考構造を持っていないわけです。

しかし、両者が用いている論理形式が
根本的に異なっているわけではありません。
そうではなく、同じ論理形式を
異なる前提のもとで使用しているのです。
日本人が、A(→B)→Cといった感じでBを省略しがちなのは
A→Bというのが多くの日本人の間で
あらかじめ前提条件として共有されているからです。
ちなみに、こういう論理の飛躍を日本では以心伝心と呼びますが、
そのような思考方法を持っていないアメリカ人には
この『以心伝心』を『telepathy(テレパシー)』
としか訳せないそうです。

これと似たようなことは
国籍による区分だけではなく
様々な異なる組織の間で起こります。
例えば、ある数式を見た際に、
数学者はそれを方程式として見るでしょうが、
一般人にはただの記号の羅列にしか映らないでしょう。

結局のところ、ある情報に対する前提条件を共有しているか否かで
その情報に対する反応は全く変わってくるわけです。

(続く)