reiner Rubin (2)

(続き)

この二つの問題を抱えている限り、
「生きることは戦いである」から始まる論理展開では
何の目的もないままただ戦いの苦しみだけを強要することとなり、
問題は本質的には解決されないのです。

この二つから解放されるのが
ジュン視点での最終話なんじゃないかと思います。
まず一つ目。
水銀燈に腕をもがれてしまい、自らが完全でなくなったことを

<i>私は完璧を求められる人形(ドール)
誰もジャンクになった人形なんていらない</i>

と嘆く真紅はまさにかつてのジュンそのものでした。
そんな真紅を見て自分がこだわってきたものが
ちっぽけなものだと気付くわけです。

そして、もう一つ。
ここで10話での真紅とのやりとりが効いてくるんですが、
この辺のことを考えると実はこの話は
引きこもり問題だけにとどまらず
より一般的な問題にも当てはまっているんじゃないのかなぁ
とさえ思うようになりました。

真紅ら人形に課せられたアリスゲーム
我々の現実世界そのものを象徴していると僕は解釈しています。
それは意味が与えられず
目的だけが存在する世界です。
人形が究極の人形アリスへと向かうという
目的だけが与えられているのと同様、
我々生命もまた
それが進化なのか単なる変化なのかはよく分からないまま
そして、その意味もよく分からないまま、
そのための本能が与えられています。
最終的にそこに何の意味があるのか、
そもそもそこに本当に意味があるかどうかよく分からないゲーム、
それがアリスゲームなのであり、我々の現実世界でもあるわけです。

そして、そこに意味を求めようとする人間は
時にその無意味さに絶望します。
したがって、ジュンは引きこもりとして描かれてはいるんですけど、
そういった絶望する現代人を象徴しているとも言えると思うんですよ。

そんなジュンが真紅を通して導き出した答え。

<i>オマエ(水銀燈)からすれば
馬鹿みたいに見えるだろうな
何の得にもならないのにこんなことして
僕もそうだった
意味がない やっても無駄だ そう思っていた
でもアイツ(真紅)は
意味があるかどうかすら分からない戦いを
ずっと続けてきた
僕よりずっとずっと昔から
意味があると信じて
だから僕も</i>

この答えを得たからこそ
“生きることは戦いである”にジュンは辿りつけたのです。

(続く)