nochmals u:berlegen (5)

(続き)

ただ、この二つ目に関しても
私が本当の絶望を知らないから
こんなことを語れるだけなのかもしれません。
真に信じていたものが崩壊すれば
他など塵同然という考えに至る方が
むしろ正しいという可能性を
そういう経験のない私には否定できませんから。

私がこの作品の最終話を見て
最も気持ち悪さを感じたのは三つ目です。
上述したこの作品の大まかな内容を見れば分かるんですけど、
彼は自分からは一度も一歩を踏み出していないんですよ。
私が考えていたこの作品のテーマ(相良宗介の自立)からすると、
これは明らかにおかしいと思うんですよ。

最後に仲間を助けに行ったのも
千鳥かなめに自分を肯定されたことがきっかけです。
確かに成長とか変化のきっかけとして
他者の言葉は非常に重大な役割を持っているのですが、
仲間を助けに行くという
ごくごく自然な行為をすることさえも
他者の言葉に依存しなければならず、
自分の意思で実行できない人間が
本当に自立したと言えるのでしょうか。
自己を確立するというテーマでありながら、
最後まで受動的であり続けたという矛盾。

では、ラストで組織に縛られず
自立したかのように描写されていたのは
一体なんだったのでしょうか。
ここまで考えてようやく分かりました。
彼は自立なんかしていないんですよ。
これまで誰にも依存できなかった彼が
千鳥という他者に依存できるようになったこと、
そしてそれを自分自身で認めたこと、
これこそが昔の彼が決して持つことのできなかった新たな力であり、
そういう精神状態に移行できたからこそ
これまで乗りこなせなかったアーバレストを完全に乗りこなし、
敵を圧倒できたわけです。

つまり、私は根本的な勘違いをしていたんですよ。
確かにこの作品は相良宗介
組織に縛られない独立した自己を確立する話ではあったんですけど、
私は相良宗介が自立することによって
そのような状態に到達する話だと勝手に思い込んでいました。
しかし、実際はそうではなくて
逆に他者に依存できるようになること
(自分の意思でそうなること)によって
組織に縛られない自己を獲得するという話だったわけです。

(続く)