O vita misero longa, felici brevis! (2)

(続き)

理想を目指そうとする意思(信念)
そこに生じる誇り

原作のテーマとしてもよく取り扱われていることですが、
僕の見たアニメ版Fateにおいてもこの2つを組み合わせが核であり
そこが非常に美しかったです。

そもそも理想を目指すには
理想をイメージできていないといけないわけです。
物語当初ただオヤジの目指していた正義を漠然と目指してはいるものの
そこに具体的なイメージがなかった士郎が
アーチャー、セイバーの生き様を通し
徐々に自らの理想を具体的にイメージしていき
(=理想に近づいていくこと)、
そして、それにリンクして彼の投影魔術能力が高まり
最後に究極の理想(アヴァロン)を具現化された、
士郎視点のこの物語は大体こんな感じかなぁ。

で、この物語が美しく感じられ、かつ説得力があるのは
このように士郎を導いたアーチャーでありセイバーの生き様の
(もちろん両者とも単なる士郎の先人的な存在ではなく
士郎の持つ意思の強さの影響を受けてはいるんですけど)
の描写がまさに白眉だったからです。
(主人公士郎が霞んでしまうほど^^;)

たまたま僕が録画しておいたのが運良く
アーチャーの最期の1クールラスト「理想の果て」と
セイバーの最期の最終話「全て遠き理想郷」だったため
何度か見直したのですがとにかく美しいのです。
原作を知らないこともあって設定がさっぱりで
実は正直分からんところもたくさんあるのですが
(「理想の果て」の演出を見る限りアーチャーの現世の姿は士郎?)、
二人とも最期まで自らの理想を追い求めることができたんだなぁ
ということは伝わってくるんですよ。
だからこそ、この2人の最期の姿には誇らしさが漂っており
ラオウの最期を彷彿とさせると言えば分かりやすい?)
そこに美しさを感じるわけですよ。

まぁ、実は僕が一番カッコええなぁと思ったのは
眼鏡格闘技オッサン(名前は忘れました)だったんですけど。
物語全体としてはヤムチャ的な役割だったはずなのに
あんだけカッコよく見せるのはスゴい。
そもそも僕が原作やりたいと思ったのは
アニメ版では中途半端だった彼のエピソードを
見てみたいなぁと思ったからですしね。
うーん、しかし60時間はきついなぁ・・・。
夏休みもなんだかんだで忙しくなりそうだし・・・。

(続く)