頑迷固陋(4)

(続き)

しかし、ここで問題が生じます。
これまで人は、仮想の絶対を唯一つではなく
同一世界に複数作り出してしまったため、
どこかで必ず矛盾が発生するのです。
相互に独立している内容(座標軸)ならまだしも
同じ座標軸に原点(つまり絶対)が2つ存在することは
それ自体で矛盾なのです。
そして、このことが現在この世界で
数多くの問題を生み出しているわけなのです。

では、仮想ではない真の絶対が存在したらどうなのでしょうか。
それはこの世界に誰も抗うことが出来ない
絶対的な価値観を作り出すのではないでしょうか。

DEATH NOTE』という作品はそれを体現しようとしています。
この作品は真の絶対に極めて近いものが
一部に導入されようとした世界を扱っています。
「誰にも平等なのは……死だけだ。」
と『MONSTER』でヨハンが語ったように、
「死」は人間全てに宿命付けられた
人間にとって限りなく絶対に近いものであるため、
夜神月が死の基準を作り出した瞬間に
世界の様々な価値に絶対的な位置が与えられます。
本来は相対的なものでしかなかった
夜神月による善悪の基準を原点とした絶対的な位置が。
その意味では、まさに彼はその瞬間に
この世界の神となったのです。

しかし、本来神はこの世界の外側、少なくとも
我々には届かないこの世界の限界に存在しなくてはなりません。
神がこの世界内に存在しては
神自身もその絶対基準に従わねばならず、
その時点でこの世界の単なる住民に成り下がるからです。

神であると同時に単なるその世界の住民でもある
という矛盾を抱えた夜神月によって
相対的なものが絶対的なものへと変わってしまった
世界がどこへ向かうのか、
そして、それは絶対が存在しない我々の現実世界に
何を呈示するのか、大変興味深いです。

いやー、非常に長くなりましたが、
ドラゴンボール』から始まって
DEATH NOTE』に終わり、
ジャンプの看板作品同士で見事に完結しました(笑)。
まあ、今日の日記自体も今回の考え方に従えば
何の意味もないわけですが・・・。
それから、今日の日記は
専門的な知識に基づいた内容ではなく、
単に僕がこのように考えているだけに過ぎませんので、
そのことは忘れないで下さいね。
専門的な知識で突っ込まれたら
どうしようもありません・・・(苦笑)。

先週末に多少動きのあったダビ64に関しては次回更新にて。