頑迷固陋(3)

(続き)

> 確かに悟空の言っているように
> 結果的には地球は助かるかもしれない。
> しかし、だからといって見殺しにしていいというわけではない。
> なぜなら、たとえ生き返られるとしても
> 彼らはそのことを知らないし、
> 死ぬことに恐怖し苦しむからである。
> 彼らのこの気持ちを悟空は考えているのだろうか。

一見論理的に悟空の考え方を否定しているように思えます。
確かに、ある条件下では論理的と言えなくもありません。
つまり、他者を思いやる気持ちは大事である
という世間一般の価値観が正しいという条件下では
論理的と言えそうですので、
悟空の考えが正しくないということを
この文が論理的に語っているわけです。
(いや、この文は僕が適当に造っただけですので
実際はとても論理的に否定しているとは言い難いのでしょうが、
今回の内容ではその辺はあまり本質的ではありませんので
拘泥しないでおきます。)

しかし、仮にその前提条件が正しくないのなら
全く無意味な発言でしかありません。
1+1=1を前提にしていくら計算を展開しても
正しい結果が得られず無駄な作業に終わるのと同じです。

つまり、何かについて論理的に真偽を示すには
前提条件の正しさが必要になるわけです。
ということは、前提条件が正しいということを
論理的に証明しないといけません。
しかし、その際にも必ず何らかの前提条件が必要となります。
結局は延々と前提条件を追いかけていかねばならないわけです。

となると、前提条件を必要とせずに最初から正しいものに
どこかで到達しない限り、
永遠に終わりが来ません。
前提条件を必要としないもの、
それはあらゆる価値の原点となるもの、
つまり、絶対的なものが存在しない限り、
我々はあらゆるものに対して
全く真偽の検証ができないのです。

このままでは世界のあらゆる秩序が成立しません。
人はそれゆえこれまで、宗教の絶対神、法律、現代科学などなど
様々な仮想の原点を作り出すことで世界を成立させてきました。
(もちろん厳密には、
物理学などが数学の公理と
実験結果(突き詰めると世界が存在していること?)を
出発点としている(?)ように、
究極的な仮想の絶対がさらに存在すると思われますが。)

(続く)