頑迷固陋(1)

<i>殺されたみんなや
破壊された地上は
ドラゴンボール
もとにもどれるんだ
気にすんな</i>

これは『ドラゴンボール』のブウ編で
地球の危機の際に悟空から放たれた言葉です。
よくネタにされる(アクマイト光線でやられるなど)この言葉は
どうも普通の人たちの間でも不評みたいです。
「あの純粋だった悟空がこんなことを言うなんて・・・」と。

しかし、僕はこの言葉に特に違和感はありません。
悟空の中にある善は我々が信じるそれとは元々微妙に違う
と思っているからです。
子供の頃の悟空を思い出しましょう。
マッスルタワーで村長が人質に取られたとき、
ピッコロ大魔王によって天津飯が人質に取られたとき、
悟空は人命よりも結果を優先するという考え方を
この時点で持ち合わせています。
悟空の考え方はこの当時から基本的には変わっていない
と僕は思っているのです。

ただし、僕は
悟空の精神が子供の頃から全く成長していない
とか
悟空の考え方が根本的に間違えている
などと言っているのではありません。
サイヤ人である悟空が地球の社会に対応するためには
このように考えるしかなかったのではないのか
と僕は考えているわけです。

サイヤ人と地球人とでは
精神構造が基本的に異なっているのは
言うまでもないでしょう。
中でも、ベジータの言う「戦闘民族」としてのサイヤ人には
後天的なものではない、
先天的な地球人との決定的な違いを感じます。

彼らは戦うために生まれてきたのです。
これはどういうことなのでしょうか。
あくまで僕の想像に過ぎませんが、
食欲・性欲などの我々に生まれながらに備わっている欲求と同様
本能的に戦闘を求めるということなのではないでしょうか。

(続く)